月別: 2016年3月

最高の時はこれから

私たち家族にとって、3月は単に冬の終わりというだけでなく、大学バスケットボールの季節です。これは「3月の熱狂」と呼ばれ、事実、私たちのような熱狂的なファンは、テレビで試合を観戦してお気に入りのチームを応援します。早めにテレビをつければ解説者が試合の見どころを語っていますし、選手たちが身体をならしたり、シュートの練習をしたりしているところを見ることもできます。

日光が必要

分かっていたのに、あきらめきれませんでした。ラベルには、日光を好むとはっきり書いてあります。我が家の庭は日陰なので、この木には適しません。けれども、その色や葉の形、それに香りが気に入ったのです。それで、家に持ち帰って庭に植え、大切に世話をしました。けれども、その木は元気なくしおれています。その木には陽の光が必要なのですが、私には、それをあげることができません。十分に世話をすることで日照不足を補えるかもしれないと思いましたが、だめでした。結局、必要なものは、必要なのです。

水が頬を赤く染めるとき

百聞は一見に如かずと言いますから、カメラやビデオの発明後にイエスが来られたなら、もっと多くの人が信じたのではないでしょうか。しかし、ラビ・ザカリアス牧師は、そうではないと言います。彼は、言葉は何千枚もの写真に勝ると言い、その例としてクラショーの詩の一節、「意識ある水は自らの主を見て頬を赤く染めた」を挙げました。たった一行でイエスの最初の奇跡(ヨハ2:1-11)の神髄が示されました。大工が水を葡萄酒に変えることはありません。水はイエスが己の創造主だと分かったのです。

知らないふりはやめる

どうやって私のことを調べるのか、退職金の運用を指南する講演会の案内が、次から次へと送られて来るようになりました。数年前から始まったのですが、どれも「老後の備えはしていますか」と告げています。今までは無視してきましたが、どれかに参加する日も遠くないでしょう。行動しなくてはならない時が来たのですから。

立ち去るべき時

年をとってからキリストを信じた父が教えてくれた誘惑の克服法は、その場を離れる、というものでした。例えば、隣人と意見が食い違って口げんかになりそうなら、その場をしばらく離れて、けんかの誘惑を避けるというものです。また、友人たちが「ピト」という強い地ビールを注文したときは、「また別の日に」と挨拶してその場を立ち去りました。父は昔、お酒の問題があったので、もう飲まないことにしていたからです。

前向きな繰り返し

あるジャーナリストには、青いペンを使わないという奇妙な癖がありました。ある日、同僚が「買い物に行って来ますが、何か必要なものはありますか?」と尋ねると、ペンをお願いしたいが、「青以外を」と言いました。「青はいらない。青は嫌いだから。青は重すぎる。ボールペンを12本、買ってください。でも、青はいらないから」と言いました。さて翌日、同僚がボールペンを持って来ましたが、なんと全部青でした。説明を求められると、「だって、青、青って何度も言うから。それだけが印象に残っちゃったんですよ」と弁解しました。言葉の繰り返し効果は、てきめんでした。しかし残念ながら、狙った効果の逆でした。

深く愛されて

昔ボストンで働いていたとき、職場からグラナリー墓地が見えました。そこには、アメリカ独立宣言に署名したジョン・ハンコックやサミュエル・アダムズの墓石があり、彼らの伝令を務めた愛国者ポール・リビアの墓碑もそのそばにあります。しかし、この3人が広い墓地のどこに埋葬されているのか、今では誰にもわかりません。墓地の景観を一新したり、芝刈り機がスムーズに動けるように、多くの墓碑や墓石を何度も動かしたためです。ここには約2,300基の墓碑がありますが、実際には5千名あまりが埋葬されているといいます。死んでさえ、十分に知られない人生があるということなのでしょう。

見上げる

サージカル・テクノロジー・インターナショナル誌によると、うつむいてスマホを見るのは、約27キロの重りを首にぶら下げているのと同じだそうです。世界中の何千万人もの人が一日平均2~4時間、スマホで何かを読んだり書いたりしています。その結果、首や脊椎に問題のある人が増えるのではないかと心配されています。

私のスペース

シンガポールの大学で産業デザインを専攻した人たちが、簡単に手に入る物を使って、みんなに共通する悩みを解決するという課題に取組みました。ひとりの女性は、混雑する電車やバスの中で自分のスペースを確保する、チョッキを作りました。そのチョッキは、通常、鳥や猫から草花を守るために用いられる、柔らかいプラスチックのとげでおおわれています。